30代後半から本気でWebエンジニアを目指す元歯科技工士のプロフィール
30代後半から本気でWebエンジニアを目指すまでに至った経緯
え?そんな歳で本気で今からWebエンジニア目指してるの?
元々手に職があるのになんで??
そう思った人は少なくないはず。
私は国立の歯科技工士学校を卒業後、
歯科技工士、各種飲食業、テレビ制作会社、グラフィックデザイン事務所、英会話学校での勤務経験があります。
「歯科技工士学校を卒業しているのに、色々な職種を経験し過ぎじゃない!?」
そう思いますよね。
元々手に職があり、いろんな職種を経験した私がなぜ今更Webエンジニアを目指すようになったのか、
その経緯をこれから綴りますので、ちょっと長くなりますが、
お時間がある方は是非読んでみてください。
- 10代に決めた目標
- 20代での転機(小さな成功体験1)
- 20代のうちに仕事で海外に渡る
- 私が体験した海外での生活と仕事
- 海外での目標達成(小さな成功体験2)
- 模索し始める
- 私が見つけた新しい世界
- 大きな決断
- これからの思い
10代に決めた目標
私は高校生の頃、決めていたことがあります。
「手に職をつけて、できるだけ早く社会に出て、20代のうちにたくさんの職種を経験し、自分が将来をかけて打ち込める仕事を探す。」
私は当時、地元でそこそこの進学校に通っていて、
ほとんどの生徒は基本国立大学または有名私立大学に進学を目指していましたので、
私が大学に行かないと言った時は、周りはかなりびっくりしていました。笑
10代のうちからそんな意気込みもあったので、
歯科技工学校卒業後、20歳からがむしゃらに働き、時には必死に勉強し、
自分の望んでいるチャンスが目の前にあれば必ず掴みにいく、そんな生活をしていました。
20代での転機(小さな成功体験1)
そんな20代中頃、父が病気で突然亡くなったことで転機がきます。
父のあまりにも突然の死を経験したことで、
「まだ若いとは言えど自分の人生もいつ終わるかわからない、自分が生きていることは奇跡なのだから、生きているうちに世界でもっと社会貢献がしたい!」
そう強く思うようになりました。
その時にパッと頭の中をよぎったこと、それは海外協力青年隊などのボランティア団体に所属し、
発展途上国で微力ではあるかもしれないけど自分の持つスキルを教え、
それによって職を持てる人を増やしたい、そう思うようになりました。
そう決めた私は、早速海外協力青年隊について調べ、
どのスキルを持ってれば自分の目標を達成できるのか調べました。
その頃の募集には、私が唯一持っていたスキルである「歯科技工士」の募集はなく、
唯一自分の努力次第では目指せそうな「パソコンのインストラクター(実務経験3年必須)」という募集がありました。
私は「これだ!」と思い、直ぐにパソコンスクールを調べ、
当時興味を持っていたグラフィックデザインコースに入校しました。
この頃の私は、一切パソコンに触れたことがなく、完全初心者。
デスクトップにフォルダを作る方法すらも知らず、フォルダの中に何階層にも渡ってフォルダを作ることも全く意味が分かりませんでした。
そんな私もスクール卒業の頃にはスクールの卒業展のポスター広告のデザイン募集があり応募したところ、なんとその年の卒業展のポスターとして私のデザインが採用されました!
スクールに通っていた頃は、あるテレビ局のCMプロデューサーからオファーをいただき、テレビ制作会社でAD兼事務として少しの間働かせていただいていたこともあり、とても貴重な経験となりました。
スクール卒業後は、晴れてグラフィックデザイン事務所に転職しました!
20代のうちに仕事で海外に渡る
「グラフィックデザイナーとして3年の実務経験を積んで、そのあと海外でパソコンインストラクターとしてスキルを教えるぞ!」
と意気込んでいたその時、以前歯科技工士として働いていた時の上司から突然電話があり、
「フィリピンでフィリピン人を雇用し、歯科技工を教えて手に職をつけてもらうための立ち上げメンバーが必要だから、それに参画しないか?」
そんな話しが舞い込んできました。
「チャンスが目の前にあって掴まないわけにはいかない!」そうは思っても、
まだ試用期間だったとは言え、ようやく雇ってもらったデザイン事務所を辞めるのも申し訳ない、そんな気持ちで無責任に退職出来ないと思い、デザイン事務所の社長に自分の状況や目標などを正直に話し相談にのっていただき、社長からこんな言葉をいただきました。
「今ここにいても海外でそんな経験ができるチャンスは来ない、自分の目標があってそのチャンスが目の前にあるなら今すぐ掴みなさい!」
その一言に背中を押され、私はまた歯科技工士として働くことになりました。
私が体験した海外での生活と仕事
歯科技工士として再スタートし、1年半かけて準備し、ようやくフィリピンで歯科デザイン事務所を立ち上げる時がきました。
そしてフィリピンに渡るメンバーは、、、
私一人、たった私一人です。
現地には手伝ってくれる日本人スタッフはいたものの、その方も自身の事業で忙しく、手伝ってもらえたのは月に2回、1~2時間のみ。
私は全く英語が話せない状態で新規事業の立ち上げのためにフィリピンに渡ったので、本当にたくさん苦労し、その倍努力しました。
生活面では、初めに住んでいたところが田舎だということもあって、突然水が出なくなるのは当たり前、まともな飲食店もほとんどなく、みるみる痩せていきました。笑
そんな中、2013年には大きな地震とsuper typhoonも経験し、当時かなり古い建物に住んでいたので、この時ばかりは死を覚悟しました。
生活も慣れるまでは苦労しましたが、もっと苦労したのはもちろん仕事です。
新規事業の立ち上げということもあり、会社規定、給料査定、仕事のマニュアルなどの作成から始まり、リクルート(面接、採用)、スタッフの育成、毎月2回の給料計算(フィリピンでは基本は給料は15日毎)、売上管理など全てのことを任せていただいたので、一日一日を必死にやっていました。
右も左もわからない私に、こんなにも全て任せてくださった当時の社長や上司、同僚の皆さんには今でもとても感謝しています。
海外での目標達成(小さな成功体験2)
フィリピンで歯科デザイン事務所が軌道に乗ったので、スタッフを30人雇用し、英語圏の顧客獲得を目指し、会社のHPを立ち上げて、アメリカ、カナダ、オーストラリアに向けてダイレクトメッセージでアプローチしました。
有り難いことにアメリカとオーストラリアからは数件返信をいただき、仕事をいただくことが出来ました。世界にマーケットを広げれたこの経験で、徐々にITビジネスに興味を持ち始めました。
模索し始める
歯科デザイン事務所をフィリピンで立ち上げて約6年が経った頃、会社も軌道に乗せれて、
フィリピン人スタッフのみでも仕事を回せるほどに成長し、それと共に私のITビジネスへの興味が大きくなっていきました。
次なる新しい一歩を踏み出したいのですが、何がしたいのか考えても考えても、
何も思いつきませんでした。
そんな気持ちで働いていても会社に失礼だと思い、おもいきって退職しました。
退職したはいいものの、まだ次やるべきことが見つからない。。。そう思い悩んでいました。
この頃、たまたま声をかけていただいた台湾の会社へ仕事(歯科技工)の手伝いに3ヶ月行っていました。
このフットワークの軽さは自分でもびっくりします。笑
そうこう悩んでいるうちに、
「とりあえず今少しでも興味がある世界へ飛び込んでみよう!」そう思い始めたのです。
フィリピンでは当時めちゃくちゃ英会話学校が流行っていて、私がフィリピンに住み始めた2012年からの急成長は目を見張るほどでした。
「こんなにも急成長するビジネスの裏側を見たい!」
そう思い、フィリピンに戻り英会話学校で働き始めました。
私が見つけた新しい世界
主にアナログの仕事をやってきた私には、
英会話学校のデジタルを駆使した運営にとてもワクワクしました。
私は留学部門(オフライン)を担当することになるのですが、オフラインとは言え、もちろんWebアプリから留学の申し込みが入ってきて、生徒管理も管理システムがあり、簡単に全てのデータの集計や管理が出来る仕組みになっていました。
週一で中国のエンジニアとシステムの改善点をあげ、システム機能のアップデートのミーティングを行いとても刺激的な日々でした。
私が留学部門を担当してから年間売上が過去一に良かったと上司から報告を受けた時はとても嬉しかったです。
ただ、良い時というのは束の間、コロナがやってくるのです。
フィリピンでは2020年1月には中国からの入国が禁止され、3月には日本からの入国も禁止、
遂にはロックダウンに入るというニュースが入ってきました。
留学途中だった生徒様には皆さんの無事が第一なので、全ての生徒様に急遽帰国していただき、それと同時に新しいプロジェクト、「オンライン留学」の立ち上げをスタートするとになりました。
オフライン事業からオンライン事業に移行し、更にデジタルに特化した事業に携わることをきっかけに、Webアプリやシステムにどんどんのめり込んでいき、アプリやシステムを使う側から作る側になりたいと思うようになりました。
フィリピンでは2020年3月から完全に在宅ワークに切り替わり、デジタル化の重要性、これからの世界を生きるためにはIT知識は欠かせなくなる、そのことに気付き、元々ITビジネスに興味があったこともあり、Webサービスで世界中をもっと便利にできるWebエンジニアになりたいと強く思い始めるようになりました。
大きな決断
もちろんWebエンジニアへの道のりがそう簡単ではないことはわかっていたので、
日本でしっかりプログラミングを勉強し、たくさんを経験を積んでWebエンジニアになろうと決意し、帰国することにしました。
私はフィリピンと台湾での移住経験があり、特にフィリピンでは約8年間過ごし、愛着もあり、たくさん友達もいたのでフィリピンを離れることは苦渋の決断ではありましたが、Webエンジニアになりたいと思う気持ちが大きくなり決断に至りました。
これからの思い
模索し始めて約2年かかりましたが、今は自分が目指したいものが見つかり、
日々その目標に向けて努力することができていて毎日がとても充実しています。
「え?30代後半にもなって今からWebエンジニア目指すの?無理じゃない?」
そう思う人もいると思いますが、私は、
「人生一度きり、20代から一つの仕事を全うするのも素晴らしいことだけど、
一度しかない人生、チャレンジ出来ることは年齢関係なく挑戦する!」
こんな人生を送りたいと思っているので、これからも挑戦し続けたいと思っています。
このブログでは、
英語完全初心者から、ある程度の英会話(中上級レベル)ができるようになった私の英語の知識(現在も毎日勉強中)や、プログラミング完全初心者の私が勉強して得た知識を、自分のメモ代わりにこのブログに残していこうと思います。
英語やプログラミングなど私と同じように30代後半や40代、50代からでも
新しいことに挑戦する人へ勇気を持ってもらえるきっかけになれれば幸いです。
英語もプログラミングも私は現在も学習者なので、間違った情報を記載してしまうこともあるかもしれませんが、その時は大目に見てください。笑
ご興味を持っていただけましたら、是非、他の記事も覗いて見てください。